大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大分地方裁判所 昭和48年(つ)1号 決定

請求人 川原信康

主文

本件請求を棄却する。

理由

第一、本件請求の要旨

一、請求人は、昭和四七年八月三〇日、被疑者奥村集について左記被疑事実の所為は刑法一九三条(公務員職権濫用)、同法二二〇条(逮捕監禁)、同法二二三条(強要)の各罪に該当するとして、大分地方検察庁日田支部検察官に告訴したところ、同庁検察官は捜査の結果、昭和四七年一二月二〇日付でこれを不起訴処分に付し、請求人において昭和四八年一月一五日その旨の通知を受けたが、この処分に不服であるから、刑事訴訟法二六二条により右事件を大分地方裁判所の審判に付することを求めて本件請求に及んだ、というものである。

二、被疑事実

被疑者は大分県日田市田島五〇〇番地所在奥村日田病院の院長であり、精神衛生法により公務員とみなされる精神衛生鑑定医であるところ、昭和四五年一二月三日何らの診察も行なわないまま、精神衛生法上入院治療の措置を必要としない請求人に対し、その職権を濫用して、請求人が精神分裂病者であり、かつ入院措置を必要とする対象者である旨の虚偽の精神衛生鑑定書を作成することにより、同日から昭和四六年七月九日まで、および同月一七日から同月三一日までの間、請求人を精神障害者として同病院に収容入院させ、その間不必要な薬の投与、注射等をなし、もつて請求人を不法に監禁するとともに義務なきことがなされるのを受忍させてその行為を強要したものである。請求人は、本件請求において本来は刑事訴訟法二六二条による審判の対象とならない逮捕監禁罪、強要罪もあわせて審判に付することを求めているが、これらの各行為は刑法一九三条の公務員職権濫用罪の構成要件の内容として主張されているものと理解されるから、その全体を刑事訴訟法二六二条に定める付審判請求手続の一個の対象と解することができる。

第二、当裁判所の判断

一、一件記録および当裁判所の被疑者取調べの結果によれば、請求人は、かつてプロバリン自殺を企てて未遂に終つた昭和四〇年六月以降心身ともに不安定な状態が継続し、そのため精神科系統の各病院で入院治療を受けてきた経歴があつたところ、昭和四五年一二月二日出刃包丁を携行して他家に押しかけた件によつて警察官に検挙された際、まず同日大分県知事の嘱託によつて精神衛生鑑定医である谷口文夫医師が行なつた精神鑑定(第一次鑑定)の結果、請求人は精神分裂病の疑いがありかつ精神衛生法上のいわゆる要措置者との診断が下され、ついで翌一二月三日、改めて同知事の嘱託により請求人に対する第二次精神鑑定を行ない、同人について前記谷口鑑定とほぼ同一診断のもとに要措置者と判定する鑑定書を作成し、右両医師の一致した鑑定の結論にもとづき、大分県知事は、大分県厚生部長名義で同日請求人に対する前記奥村日田病院への精神衛生法二九条一項による入院命令を発し、被疑者は、同病院の院長として右命令に応じて同日請求人を同病院に収容し、同日より昭和四六年七月三一日まで入院治療を施したことのほか、被疑者の請求人に対する前記鑑定は、もともと請求人が当時現在していた前記奥村日田病院において昭和四五年一二月三日午後一時ころ県の精神衛生吏員立会のうえ診察して行なうべき手筈になつていたところ、たまたま右吏員の来院が遅れた事情もあつて、現実には、被疑者は、同日午後一時半ころ右吏員の立会がないまま前記病院一階隔離室に赴き、同室にいた請求人に向つて「気分はどうか」と尋ねかけたのに対し、同人が布団を頭からかぶつて返答もせず横になつたので、これをもつて同人がその際は不機嫌で眠気を催した心身の状態にあるものと診断し、それ以上の問診あるいは触診をしないで、診察を終え、右見分の結果に、被疑者がかつての前年八月同人の精神衛生鑑定を行なつた折に知り得た病状等および前日同人を診断した前記谷口医師から聴取した諸状況を併せ総合することにより同人の精神衛生鑑定に必要な資料の取得はできたものとして、前記のとおり、請求人が精神分裂病に罹患しており要措置者である旨判定した精神衛生鑑定書を作成したこと、県の精神衛生吏員である渡辺文夫は同日午後二時三〇分ころ来院したが、既に請求人に対する診察は終つた旨知らされ被疑者の案内で改めて請求人の様子を病室に眺めにいつたこと、さらに昭和四六年一一月九日から同年一二月一七日までの間請求人が自発的に熊本大学医学部神経精神科に入院して精神衛生鑑定を受けた結果でも同人が精神分裂病と判定されたこと等の事実が認められる。

二、さて、以上の認定事実にもとづいて本件請求の適否を判断する。

まず、精神衛生鑑定医たる医師が「法令により公務に従事する職員」つまり公務員とみなされる場合があるのは、精神衛生法一八条三項の規定によつて明らかではあるが、それは同鑑定医が同条二項に定める職務の執行、すなわち、都道府県知事の監督のもとに、精神衛生法の施行に関し精神障害の有無ならびに精神障害者につきその治療および保護を行なううえにおいて入院を必要とするかどうかの判定をすることに関する場合のみに限られるのであつて、同鑑定医がいかなる場合においても常に公務員とみなされるわけではなく、従つていわゆる措置入院後に同鑑定医が対象患者に対して行なう注射、薬の施用等の治療行為そのものが公務員として職権を濫用したかどうかの観点で是非が論ぜられる余地のないことは明白である。

さらにまた、同鑑定医が公務員とみなされる場合である精神衛生法上の鑑定について考えてみても、都道府県知事は、同法二九条一項もしくは二九条の二・一項の規定に則り、右鑑定の結果によつて対象者が入院措置を要する精神障害者と認めたときにはその者を精神病院等に入院させることができるのであるから、右鑑定が、都道府県知事において精神衛生法上の措置入院命令を発するか否かについて必須の資料であり、かつその内容の如何が措置入院そのものに大きく影響する関係にあることはいうまでもないが、だからといつて右鑑定を行なつた鑑定医自身に対象者を措置入院させるかどうかを決する公務上の権限があると解することができないのも当然であつて、かりに右鑑定について手続上の瑕疵ないし内容上の誤謬などがあり、右鑑定にもとづいて都道府県知事の措置入院命令が発せられたとしても、そのこと自体が他の何らかの法令に違反しもしくは行政上の監督を受けることがあるのはともかく、これが直ちに鑑定医が職権を濫用して対象者を不法に入院収容させたと評価できないことはいうまでもない。

三、そこで、本件についてこれをみるに、前記認定のとおり、被疑者の請求人に対する昭和四五年一二月三日の精神鑑定は、後日熊本大学医学部でなされた鑑定とも対比してその結論的内容においては適正であつたものと推認されないでもないけれども、手続面に関しては、その診察時県の精神衛生吏員の立会を欠いており、他方、診察のあり様についてみても、被疑者は一応現場に臨んで請求人に声をかけその反応と状態像を確かめた事実がある以上診察行為が存在しないとまではいえないものの、その際の見分で被疑者が知り得た資料といえば、対象者が現に不機嫌で眠気を催しているといつた程度の、それ自体としては正常人と区別して特に精神障害を疑わせる重要な徴候とまでもいえないような心身の状態を把握したにとどまるのに、それ以上に問診、触診その他検査は行なわないまま診断をしているわけであるが、もともと、精神衛生法上のいわゆる措置入院は、対象者の意思にかかわりなく精神障害者として強制的に同人を入院収容して治療を施すものでその人権に影響するところが大であり、精神衛生法が同法二七条あるいは二九条などにおいて、精神衛生鑑定医の診察に際して都道府県の当該吏員の立会を義務づけ、あるいは入院命令の前提として複数鑑定の存在ならびに要措置入院について診断の一致を要求しているのも、前記事情を考慮して同鑑定医の診察が厳密、公正に実施されることを担保すると同時にその診断の正確さを確保しようとする趣意であることが窺えるのであつて、右のような法の規定ないし趣意に鑑みると、被疑者の請求人に対する前記鑑定は、その内容自体の当否はともかく、一部診察の手続において法に違背し、全般的にも法が期待する精神衛生鑑定医としての厳正さに欠け、安直のそしりを免れない点反省の要があると思われる。

しかしながら、被疑者が行なつた鑑定に右のような不都合が存在するからといつて、結局は大分県知事が精神衛生法上の権限にもとづいて請求人に命じてさせた奥村日田病院への措置入院をして直ちに被疑者が公務員としての職権を濫用して請求人を逮捕、監禁したと問擬できないことは、既に述べたとおり被疑者自身に措置入院を命ずる一般的な権限がない以上当然のことである。

もつとも、被疑者が右鑑定の実施そのものの過程で対象者に本来鑑定に不必要な義務なきことを行なわせたり、あるいは措置入院の命令権限者である都道府県知事ないし代行者その他関係者らと共謀してことさら虚偽の鑑定を行なつて対象者を措置入院名目で収容したような場合であれば、公務員職権濫用罪(刑法一九三条)の成立を考える余地がないわけでもないが、本件にあつては、一件記録を精査し、被疑者本人を取調べた結果を徴しても、そのような事跡はさらに認められない。

四、以上の検討を通じてみるのに、本件において、まず請求人が主張する前記被疑事実は刑法一九三条に定める公務員職権濫用罪には該当せず、罪とならない場合であり、その他被疑者につき同罪の成立が考慮される事実関係はついに立証されないから、結局検察官がした不起訴処分は相当であつて、本件請求は理由がなく、よつて刑事訴訟法二六六条一号により本件請求を棄却することとし、主文のとおり決定する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例